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日常にひそむハンカチをめぐるストーリー。素材・成り立ち・遊び方まで。
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![]() 今年は一年いろいろありました。 いろいろの一番は子供がうまれたこと。 二番目はお店を出したことでしょうか。 名前は「宙(そら)」 名づけの理由もいろいろありますが子年であること(ちゅう)など、いろいろ勝手な結びつきをつくっています。 そんなわけで一年も終わり。 今日食事をしていたときに、連れが子どもをあやそうと急にハンカチでねずみを作って動かしだしたのをみてびっくり、どこでそれを覚えたの?と聞いたら、中国でと。 上海出身の彼女は、小さい頃はハンカチをみな使っていた、ティッシュが出てきてからあまりみかけなくなったといっていました。 ハンカチをつかってつくるねずみ。これはお隣中国でもあったんですね。 それにつけてもハンカチの魅力。 子どもをあやす道具にもなり、時に宴会芸にもなる。 そんな魅力を男性にもぜひ身につけていただきたいです。 小さい頃につくったかもしれませんが、もう一度復習してみたいですね。 自分はすっかり忘れました。 どこかでつくりかたをご案内できればと思っていますので、お楽しみに。 「行人」夏目漱石
IIDのギャラリーで11月に行われていた展示soseki展。 漱石の夢十夜執筆100周年を記念して30名のアーティストによって行われた展示。 たまたま自分も世田谷マラソンに参加し、そこに参加していた世田谷と姉妹としてあるカナダのウィニペグのランナーをIIDに案内してほしいと依頼があり、ちょうど展示をおこなっていたギャラリーにもお連れしたときのこと。 日本在住が長くなる大学で講師もしているカナダ人は、ギャラリーに案内した際に、漱石の中で一番好きな作品は「行人」ですといわれ、自分も含めそこに一緒にいた他の数名の日本人も含め、誰も読んだことがなく・・・という思いをしました。 夏目漱石は好きな作家でありながら、同じ作品を何度も読んでしまっていて、ひととおり目を通していないことに気づき、読み始めたのがきっかけです。 こうして自分の国の文化に気づく再発見ができたのが、本当に文化交流のいいところ、と開きなおりまして。 そしてこの作品は確かによかったです。 というところまでイントロダクション。 次回はハンカチの登場なども。 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹
引き続き「ハードボイルド・ワンダーランド」から。 それにしてもよく出てきますハンカチ。 「ちびはポケットからまっ白なハンカチを出して口にあて、二、三度咳をした。そしてしばらくハンカチを点検してからもとのポケットにしまった。これは私の偏見だが、私はハンカチを持っている男をあまり信用しない。私はそのように数多くの偏見に充ちているのだ。」 ハンカチをもっていることがある種のうさんくささ、偽善さを指摘した表現でしょうか。表層的に大変紳士的であるようでその裏にあるものを予感させる象徴としてハンカチが登場します。 最近のニュースをみていると確かに、そんなことも感じてしまいます。メディアを騒がせる一流企業の高級スーツをみにまとったトップ=ある種の欺瞞に見えてくることもあるかもしれません。 もちろん媒体がそのようにニュースとしての「価値」を押し出していることも確かですが。 さてハンカチをもっていることは、そんな信用されないということではないです。 ハンカチはとても身近で親しみのある身の回りの品。 ハンカチをもつということは、ただ少し背筋を正すというか、そんなことをもとめるものかもしれません。 ワイシャツはクリーニングに出してしまえば、アイロンがかってピシッと戻ってきますが、ハンカチをクリーニングに出す人はまれでしょう。 アイロンがけはごくごくせまい私的な統計からいうと女性があまり好まない分野で必然的に自分でかける必要がある。そもそも自分で身につけるものは自分でする。もちろん家族のものもする。ちなみに自分のシャツはクリーニングに出さずに自分でアイロンをかける。そうすると服がどのようにできているかよくわかる。そして愛着がわく。 極めて狭い視野によるごく個人的な判断基準としては、ハンカチをもつ、もちろんアイロンがかかっていることが前提で、ハンカチをもっている人間はある種の人生に対する姿勢、それを表象するものとして自分の目にうつってくることがあります。 もちろんこれは偏見です。 ハンカチをもとう。ただそれだけの話でした。 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹
前回に引き続き、ハンカチの登場シーン。 ハードボイルド・ワンダーランドから。 「このアパートも決して安全ではないのだ。私の部屋のドアや金庫の鍵を開けることなんてプロの手にかかればハンカチを一枚洗濯するくらいの時間しかかからない。」 村上春樹の特徴的な比喩表現がさえるセンテンス。 さて「ハンカチを一枚洗濯するくらいの時間」とはいかほどか? もちろん実質的に何分かかるかが問題ではなく、それぐらい時間がかからないほどあっという間のという意味で使われているのは重々承知ですが。 むしろそもそもハンカチを洗濯するとは? 毎回手でハンカチを洗う方は少ないとは思いますが、お客様では手巻きのハンカチなどはネットにいれて洗濯されるかたもいるようです。 そうしたハンカチに対する気遣いが大変うれしいです。 手巻きの縫製自体はミシン縫いと比較すると決して強いものではありません。もしほつれたりしたらお送りください。 きちんとお直しします。 自分はというと・・・おはずかしながら洗濯機にそのまま放り込んでいますが、今までのところ問題はありません。 自分の場合手洗いというと、ハンカチは何かの突発的な汚れ、ワインがはねた、お料理の油がはねたなどに対応することが多いですが、そうした処理のあと、やはりハンカチにシミがついてしまうのがしのびなく、すぐにお手洗いなどで簡単にすすいで一次対応しておくことがあります。 そうすると後で洗濯した際に、しみが気にならないですみます。 ハンカチを洗うことはたいして時間はかかりません。 そうしたちょっとしたことの積み重ねが大事かもしれません。 ハンカチ一枚を洗濯するほどの時間・・・ 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹 1985年
村上春樹の小説で最も好きな作品。彼の小説にはよくハンカチが出てくる。 本人がハンカチを使うかどうかは知らない。 おそらく小説の中にハンカチが登場するのは身近にハンカチという存在が、記憶の中で強くあるのか、現物として手元にあるのかわからないが、想起されやすいのではないかと推察する。 まぁ、どちらでもよいですが、ハンカチをもっていただけるひとが多ければ多いほどうれしいです。 この小説は「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」がパラレルに進んでいく。 ストーリーを説明するのは、それぞれが特殊な設定になっているので、割愛。 読んだことがある人は記憶をたどり、そんなシーンがあったのかと再認識し、 お読みでない人で興味のあるかたは手にとってください。 ハンカチの登場シーン「世界の終り」から: 「大佐はコーヒーからを全部飲んでしまうとカップを皿に戻し、ポケットからハンカチを出して口もとを拭った。大佐の着ている服と同じようにハンカチもよく使いこまれた古いものだったが、手入れは行きとどいていて清潔だった。」 清潔で大事につかわれているハンカチ。物のありかたはそのひととなりをあらわします。 大佐の性格、生きる姿勢を見事に表象したシーン。 自分もこうありたいです。 ちなみに…、IIDでは現在「世界の終り」という展覧会を行っています。 林勇気さんという映像作家で、この小説とは関係ありませんが、こちら大変面白いです。 ぜひどうぞ。 ![]() 以前書いたハンカチを使ったスリ被害にご注意。という記事。 先日、大阪に行った際に撮ったその看板です。 描かれている泥棒は、何かどこかコミカルで、思わず許してしまいそう。 ハンカチを落とすというのもすごく古典的な手法。 手法いかんに関わらず、もちろんハンカチをつかった詐欺は断固反対です。 決して許すわけにはいきません。 最近は振り込め詐欺が横行していますが、以前読んだニュースでは大阪での被害は他と比べると少ないそうです。ボケとつっこみの文化があるからでしょうか。 逆にこのハンカチの詐欺は、大阪人の人の好さ、親切心を逆手にとった巧妙さがあると変に感心してしまいます。だからわざわざ看板をつくるほど、被害があったのでしょうか。 大阪にいくと何かとその親切さを感じます。おせっかいを焼いてくれるというか。 きちんとひとりひとりにおもてなしをし、温かく迎える。ただハンカチを買うのではない。お店でもそんなことを大事にしたいと思います。 ハンカチはなくなってしまうのだろうか?
アメリカでは百貨店の売り場からハンカチがなくなったという記事を読んだことがある。 実用主義、合理的な考え方をするアメリカでは、実際にそういうことがあるだろう。 家やオフィスには空調が完備され、移動は車で汗をかかない。 トイレに行けば、手をかざせば空気の力で水気を吹き飛ばしてくれる便利な機械が設置してある。 世の中とても便利になった。 汗をかかない。 手もふく必要がない。 ハンカチは今やお別れのときに差し上げる手頃な送別の品になりさがってしまった。 なんだかブランドが刺繍されていて、気軽な価値があるようなてっとり早い贈り物になってしまった。 今やどれも持ち歩きたくない。タンスにあふれかえる見知らぬハンカチの数々。 ババ抜きのJYOKERのようにハンカチを押しつけ合って、ようやくそのことにひとびとが気付き始めている。 自分が選び、買いたいハンカチはどこにいってしまったのだろうか。 ハンカチ自体の意味はどこにあるのだろうか。たった一枚の布きれ… そのうちハンカチは消滅するのだろうか。 今や世の中にハンカチは必要ないのだろうか。 汗もかかない、手もふかない。 それでも隣にいる女性が涙を流しとときにそっと差しのべるものはなんだろうか。 それは嬉しく感動の涙かもしれない。悲しいお別れの涙かもしれない。 いずれにしても、 男が紳士である限り、ひとにこころがある限り僕はハンカチを作り続けよう。 その瞳にきらめくものがある限り… 『チェコ人形アニメの巨匠たち』2008
チェコアニメはその独創性、技術、キャラクター、ストーリーなど、とても面白い。 去年IIDのWINTER FEST.で上映会をした。 『チェコ人形アニメの巨匠たち』はその中でもチェコの人形アニメにスポットをあてたドキュメンタリー。その歴史、関わるクリエーターを探りながら、代表的なチェコアニメのダイジェストが見れる、非常にお得な映画。時おり出てくるチェコの街並みは美しく、自分もきっと訪れたいと思う。 さてどこにハンカチが出てくるのかというと、その中の代表的な監督ヘルミーナ・ティールロヴァーのやはり代表作『結んだハンカチ』 端を結ばれたハンカチが擬人化した動きをしています。ちょっとの紹介なのでストーリーまではわからないのですが、ハンカチが映画の中心の奇跡的な映画です。今度じっくり借りてみてみたいです。 『チェコ人形アニメの巨匠たち』は12月20日よりユーロスペースでレイトショーです。 チェコアニメファン、ハンカチファンはぜひ。 ![]() 新しい段ボールの箱を準備中です。 今回の段ボールには新しいメッセージが入ります。 表面と、段ボールを開いたときにもメッセージが出てきます。 メッセージとはハンカチが出てくる格言。 ひとつは “always carry two handkerchiefs... one to show and one to blow.” アイルランドの格言で、2枚ハンカチをもちなさい。一枚はみせるため、一枚は鼻をかむため。 紳士たるものやはり、こうでなくてはいけません。 もうひとつは、 “The World is a Handkerchief.” スペインのことわざで、世界は狭いなぁ(一枚のハンカチのようだ)という意味。英語でいう“It’s a small world!”不思議なめぐり合わせ、偶然が起こることはありますよね。そんなときに使いましょう。 ハンカチは確かに小さな布きれ。 それでも、と自分は思う、とても奥が深いものです。 一枚の布に凝縮された世界観、それは場合によってとてもスケールが大きいものです。 あなたにとって、とっておきのハンカチがどうかみつかりますように。 |
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