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日常にひそむハンカチをめぐるストーリー。素材・成り立ち・遊び方まで。
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![]() ハンドロール(手巻き)の技を取材しました。 横浜にある縫製工場。実際は手巻きは工場ではなく、内職のように各所に配られ行われているそうです。 ハンカチの縫製には色々あります。 ミシンを使った三つ巻縫い、千鳥縫い。H TOKYOでもほとんどがこちらの縫製です。他にもフランスヘムなど。手巻きは縫製の中の最高峰といって間違いないでしょう。その名の通り一枚一枚、職人の手によって縫われています。 手馴れた職人の手でも1時間で3,4枚しか縫えないそうです。 そうした技もできる人はだんだん減少しており、近い将来日本で手巻きの縫製はなくなってしまうかもしれません。 工賃はミシン縫いの4倍しておりますが、それでも安いと考えても差し支えない価値観のある一枚かもしれません。 淵が丸く膨らんだ淵のハンカチに、何らかの愛着を思わず感じてしまいます。 一枚一枚こよりを作るように巻きながら縫製していくその様子は、感動の体験でした。 H TOKYOではラグジュアリー、リゾートの商品の一部でハンドロールの縫製をしています。 失われていく技術。この一枚一枚を今提供させていただいています。 どうぞよろしく、大事にお使いいただければと思います。 リネンについてあれこれとご紹介しています。
今回はリネンの扱いについて。 いくらよくできた素材とはいえ、完璧なものはありません。 注意点もお知りになり、より長くお付き合いください。 人間の付き合いと一緒なんですね・・・ ひとつは縮み。最初に水をとおすと5%ほど縮みます。着るものではないので、縮んでこまった!ということはあまりないですが。乾燥機は避けていただいたほうがよいようです。 もうひとつはしわ。しわがつくとなかなかとれません。服の方では、そのしわもひとつの味わいとみられますが、ハンカチはぱりっとしていたいもの。でもちょっとしたアイロンの心がけできれいに仕上がります。こつは半乾きの状態で中温でかけること。でもそんな器用なことができなければ(自分もできません)、スプレーでたっぷりと水気をもたせてください。アイロンは高温でも大丈夫ですが、中温のほうがよりよいです。 上手なお付き合いをして、パリッとしたリネンのハンカチを末永くお楽しみ下さい。 リネンの素材についてあれこれとご紹介します。
今回はリネンのよいところ。 人類がもっとも古くからお付き合いしてきた繊維であるリネン。長く付き合っても離れられない、むしろその虜にされてしまうリネンの魅力は一体なんでしょうか。 1.吸水性・・・水をよく吸う。 実はリネンの吸水性は綿の4倍!ハンカチにこれほど適した素材もないのです。暑さで汗を流したときも、手を洗ったときも、大失敗で冷や汗をかいたときも。リネンのハンカチはまさに大活躍です。 2.速乾性・通気性・・・すぐ乾いてきもちよい。 水気のあるハンカチをポケットやハンカチにしまうのは気持ちよくないですね。リネンは乾きも早いのです。通気性もよいので夏の素材で出回りますが、一年中つかいまわしの効く大変価値の高い素材。ちなみに夏場は、自分もリネンのシャツを愛用しています。 4.耐久性・・・丈夫で長持ち。 リネンの強度はコットンの2倍。丈夫で長持ち。だから長く付き合える素材なのです。ヨーロッパでは嫁入り道具として、代々伝えられています。 5.衛生的・・・きれいできもちよい。 リネンは汚れをもっとも落としやすい天然繊維。ですから身の回り品にはぴったしなのです。下着のランジェリー(lingerie)の語源になったことは紹介しました。 6.柔らかさ・光沢感 つかえば使い込むほど、やわらかさ・光沢感がましてきます。最初は少しざっくりしていますが、つかいこんでいくうちになじんできます。リネンは10年後が一番美しいともいわれているほどです。アンティークリネンが存在するのもそれだからです。 こんなにいいことずくめのリネン。大事にお付き合いください。 次は扱いのご注意を。これを知ればこわい物なしです。 たまにはお役に立つ話もということで、今週たくさんご紹介しているリネンについて、あれこれご紹介します。
まずはリネンにまつわる話しを。 リネンはなぜかひとが特に愛着をもって接する素材です。 リネンに関する書籍も実際、本屋でひとつのコーナーができるくらい出版されています。 その歴史をひもときますと、リネンは人類最古の繊維といわれています。 紀元前8000年前にはスイス湖畔の居住に使用されていた跡が発見されています。 素材として広く流布したのは地中海地域で、一般の服などや、高貴な素材として神事にも使用されていました。エジプトのファラオのミイラを包んでいたのはリネンです。 そのリネンの文化はヨーロッパに伝わり、リネンは家庭に代々伝わる家宝として大事に扱われてきました。 リネンというとテーブルリネンやベッドリネンなどという意味でもつかわれますが、リネンはそれほど身の回りに大事につかわれてきたのです。現在はベッドリネンといっても必ずしも素材はリネンでなくなってしまいましたが。 肌に身につけるのにもっとも最適とされてきたリネン(linen)は、実際ランジェリー(lingerie)の語源でもあります。 何故か愛着をもってしまうリネンは、人類がもっとも昔から付き合ってきた素材というのが本能的にわかっているからなのでしょうか・・・ 次はリネンの特徴について。 ダブルガーゼは、ガーゼを2重にしたものでやわらかく、吸水性のある素材で、夏場によく使われます。
ガーゼは医療の世界やベビー品でも使われるようにとてもやわらかく肌に優しいさわり心地です。 糸を甘くよった単糸を使い、40番手の糸でタテヨコの打ち込みを荒くし平織りに織り上げたもので、上と下がところどころで糸が交錯して結びついています。 2重なので生地は厚くなりますが、その分吸水性が高く、夏場や汗かきのかたにはもってこいの品です。 最近は女性や子供の服だけでなく、カジュアルな紳士ものでもよくみかける素材です。 でも、なによりこのガーゼはやはり小さい頃にどこかでくるまれていたからか、とても懐かしい感じがしてあたたかいですよ。 フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代〜50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。 今回は最終回。1950年代以降、フィードサックの終焉。 なぜフィードサックが世の中からなくなってしまったのか。 フィードサックは、第二次世界大戦後、科学技術の発達によって衛生的で、機能的な紙製品やプラスチック製品にとって代わられ始めました。 実際、紙の袋を作るのに10セントでできる一方、フィードサックを作るのに32セントかかったからです。また女性の社会進出に伴い、手間のかからない化学繊維の洋服が人気になりました。1948年頃になると紙製品のシェアは半分近くを占め、やがてフィードサックは市場から姿を消してしまいました。 ものを大事にし、有効に使われてきたフィードサックがないのは残念な気がします。 現在フィードサックはアメリカでは一部のコレクターアイテムとなっています。でも実は、いまだにアーミッシュなど一部のコミュニティでは実際にフィードサックを要望し、現実に使用されているそうです。現代でも生き続けていたんですね。 H TOKYOではこの時代のフィードサックやヴィンテージ生地を使い、ハンカチにしております。生地はアンティークになりますので、商品により若干の汚れや黄ばみがあります。生地はできるだけ状態のよいものを選んでいますので、商品にできるものも限られています。基本的には1つの柄で1枚から2枚しか作っていません。 世紀をまたいで、太平洋をまたいで、日本でフィードサックがハンカチとしてよみがえっているなんて素敵な話しではないでしょうか。 フィードサックを理解し、お選びいただければ一生の宝物となるものと信じています。 今後少しずつ、入荷する予定になっています。どうぞお楽しみに。(完) フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代〜50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。 1930年代〜50年代のフィードサック黄金時代。 1920年代にある新興の生産者があるアイディアを思いつきました。袋をもっとデザインしてかわいくすれば、農家の奥さんにもっと売れるのではないか?これがたちまちヒットし、爆発的に売れるようになりました。各社はそれぞれ専属のデザイナーを起用し、色や柄などオリジナルものを出しました。会社の広告もラベルが紙でのり付けされたものになり簡単に取り外せるようになりました。 こうしてフィードサックはあらゆるものにつかわれるようになりました。メーカーもピローケース、エプロン、カーテン用など特定のものに使えるようプリントされた生地や映画やコミックなどのシリーズものなどを開発しました。出版社からもフィードサックに関する書籍が出ました。 当時フィードサックは、各マーケットでサイズもまちまちで、フィードサックは40%強のシェアを小麦粉、20%弱が砂糖でした。このサイズを統一したのがルーズベルト大統領、1937年のことでした。50ポンド(約25kg)の袋が34×38インチ(86×97センチ)。 一面でハンカチ2枚分の大きさですね。 折りしも大恐慌の時代、洋服を買う余裕もない主婦達は、いかに自分のほしいフィードサックを入手することに心血を注ぎました。一家の主も大変でした。買い付けには必ず奥さんか娘の同行が必要で、はるばる遠い道のりを買いにいき、2m近くあるうずたかく積まれた25kgの袋をどかしながら、奥さんのために希望の柄のフィードサックをとってあげたいう涙ぐましい努力の話しも… こうして40年代初頭には400万人近くの人間がフィードサックを身につけていたといわれています(どうやって調べたのかわかりませんが) そのフィードサックがなぜ世の中からなくなってしまったのでしょうか? (続く →フィードサックストーリー(4)) フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代〜50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。
そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。 先回の続き19世紀半ばから1920年代まで。 19世紀半ばに開発されたミシンによってフィードサックは商業的に使用可能なものになり、19世紀後半には大量生産化されました。当初は家庭では空になった袋をもっていって、小麦粉や飼料などをつめてもらっていましたが、生産者にとって前もって袋つめしてある方が簡易なため、袋つめで販売するようになりました。1920年代まで綿は生地の中心でしたが、レーヨンなどの合成繊維が台頭すると、綿の価格は下落し、むしろ生産者はより綿の袋で供給しやすくなったのです。 そうして空になったフィードサックは、代わりに家庭でタオルやリネン、洋服、下着などにつかわれるようになったのです。 当初フィードサックは、漂白されてなく、会社の宣伝がプリントされた状態で販売されていました。主婦達は洋服やリネン類に使えるよう苦心しながらプリントを洗剤で落としました。それでも肌着としてつかうにはそこまでする必要もないと考える人もいて、おもしろい話が残っています。 ある女性が、婚約者と道を歩いていて、すべって転んでしまいました。婚約者は、フィアンセの下着に「SOUTHERN BEST!(南部で一番!)」と書かれているのを発見した… すいません…アメリカンジョークなので。 1920年代にある新興の生産者があるアイディアを思いつきました。袋をもっとデザインしてかわいくすれば、農家の奥さんにもっと売れるのではないか? (続く →フィードサックストーリー(3)) ![]() フィードサック(feedsack)とは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のこと。特に1930年代〜50年代には華やかなプリントがなされ、人気を博す。H TOKYOではその時代のヴィンテージの生地を扱いハンカチにしています。 そのフィードサックにまつわるストーリーをご紹介します。 まずはプリント柄が登場する以前。1800年代半ばまで。 1800年代前半 生産者による穀物、種、食物や飼料などの輸送や貯蔵につかわれていたものは、ブリキの缶や木の樽などでした。ただしブリキはすぐにさび、木の樽は壊れやすいものでした。ブリキも木の樽もかさばり、重く輸送には不向きでした。 一方で家庭ではホームスパンリネンを穀物をいれる袋として使用してきました。ホームスパンリネンとは手で紡いで織り上げた手づくりの布のこと。そうした袋は一家の大事な財産として考えられていました。 その多くはイニシャルや名前を刺繍され、誰のうちのものかわかるようになっていました。 しかし生産者にとって手縫いの縫製であるホームスパンリネンでは重いものをいれるのに耐えられず、輸送に使うことはできないと考えられてました。 しかし1846年に縫製ミシンが登場すると一変しました。縫製は強固のものとなり、重さに充分に耐えられるようになったからです。 (続く →フィードサックストーリー(2)) ![]() ペイズリーとは勾玉とも、松かさ、パーム(やしの葉)、糸杉文様ともいわれる柄。インドカシミール地方で織られていた柄が、18世紀にヨーロッパに持ち帰られ、19世紀スコットランド都市のペーズリーでカシミヤ製のショールが大量生産され、広く流行したため代名詞となった。 そしてペーズリーといえばエトロ。エトロの創始者ジーモ・エトロはアンティークのコレクターでこのカシミヤのショールに魅せられテキスタイルとして再現したいという想いが、もともとはテキスタイルメーカーとしての出発だったようです。1981年に出されたペイズリーコレクションがエトロを有名にしたきっかけになり、今でも代表的なモチーフです。 時代を経ても古びない洗練されたオリエンタルな雰囲気のペイズリー柄を提供するエトロには脱帽です。 |
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